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2018年3月パラリンピックで 成田緑夢(グリム)選手金メダル

−−チャンピオンになった気持ちは。
ーーー銅との違いは
「(表彰式で)世界の舞台で国旗を見せ、国歌を流せた。世界に日本を見せられてうれしい。」


国旗・日の丸

日本の最高神は古来より天照大神です。また太陽神でもある。太陽のシンボルでもある赤い丸は、天照大神の現れである。「日の丸」は、古来から今に至るまで脈々と受け継がれてきた、わが民族の歴史と信仰のシンボルといってよい。

  日の丸の歴史は、武士の平安時代になると、軍扇のデザインに、しばしば「日の丸」が用いられるようになる。那須与一が射落とした軍扇の話は、有名な話であ る。文治元年(1185年)、「屋島の合戦」の祈、平家の水軍から一般の小船が漕ぎ出し、岸辺に布陣していた源氏軍の、ほぼ十数メートルの沖合いに停泊す る。船上の美しい少女が、船の柱の上に立てられた「日の丸」の扇を指して、手ぶりで「射てみよ」という。若武者であった那須与一が、源氏の代表として、神 に祈りつつ矢を放つ……。矢は、見事に扇のカナメを射落とす。扇はひらひらと海に落ち、両軍の武士たちは、与一に喝采を惜しまなかったという。

 南北朝時代になると、今日の「日の丸」そのものともいうべき、白地に赤い丸の旗が、文献上、はっきりと確認できるようになる。後醍醐天皇が、味方の武将に賜った旗がそれである。

 戦国時代になると、武田信玄、上杉謙信、伊達改宗などの戦国武将たちが、「日の丸」を愛用している。敵も味方も「日の丸」を掲げて戦っていたのである。

 その後、安土桃山時代になると、外国貿易のための朱印船が、台湾からマレー半島に及ぶアジア各地を、「日の丸」の旗を翻しながら活躍した。ここに「船印」としての「日の丸」の歴史も始まったと見てよいが、その矢先、。鎖国〃となり、わが国は長い太平の眠りに落ちる。

 嘉永六年(1853年)6月の、ペリー来航の日を迎える。薩摩藩主の島津、斉彬は「異国船」と間違えないよう、
「日の丸」を日本国の「総船印」とすることを提案した。安政六年(1859年)になると、幕府は「日の丸」を、「御国総印」ともしているので、ここにおいて「日の丸」は、実質的に日本の国旗となったといってよい。

 その11年後の明治三年(1870年)、「郵船商船規則」という法律によって、「日の丸」は、近代日本においても日本の「国旗」であることが確認された。

  それから129年後の平成十一年(1999年)、いわゆる国旗国歌法が成立しているが、これは、現代の悪質な反日教師たちが「日の丸が国旗であると、明確 に定めた法律などない」と理不尽な主張をし、学校現場を極度に混乱させたため、いわば再確認の必要に迫られて定められたものである。

 「白地に赤く、日の丸染めて、ああ美しい、日本の旗は……」という歌詞のとおり、青空に翻るわが国の国旗は、理屈なしに美しい。  『日本の自慢 日本の誇り』


日本の国歌 「君が代」

日本の国歌「君が代」は世界最古の国歌です。国歌として作られたのは、1870年、大山巌(西郷隆盛のいとこ)この歌詞の由来は古く、2千年以上もさか のぼり。平安時代に出た古今和歌集の祝賀の歌『我が君は 千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで』が原典だといわれており、もちろん原典と しては世界最古。詠み人知らずと言われ、名も無き庶民により歌い継がれてきたことを物語っている。

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